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良父と毒母の狭間で揺れた二十数年の回顧録

かの哲学者、ソクラテス先生の言葉にこんな言葉がある。

結婚について相談しに来た弟子に、

「是非結婚しなさい。良妻なら君は幸せ者になれるし、悪妻なら君は哲学者になれる」

と言ったそうだ。

私の父はどうだったか。

お伊勢さんの国が生んだ父は旧帝大の薬学部院卒&上場企業お勤め、ヤクザの国家資格持ちに中肉中背と身体的スペックも悪くなく、週末にはJリーグの某青黒のチームを応援にゴール裏に通い、多少放任主義ではあるもいつも優しく、時に厳しく私に接してくれた、非を探す方が難しい程の超優良物件である。

しかしそんな父に落ち度があるとすれば、一つあった。配偶者選びである。

結果から言うと、ソクラテス先生の言葉を借りるなら父は哲学者になった方だ。


ここでうちの家族の色々

私 ただの音楽マニア


弟 2つ下 兄弟仲は良い方と思っている


父 略


母 父より2つ下 控えめに言ってふぁっきゅー 見た目問題抱える


私の母が毒ではないかと疑い出したのは高校生に入ってからである。はっきり言って遅いかもしれない。

具体的に言うと、

①他人のことは色々言うくせに自分の落ち度は決して認めない

②正論で突っ込み返すと話をすり替えられる

③やたらと人の目を気にする

④あたかも自分が世間一般の意見であるかのように言う

⑤成人しようが自分の子供は子供のまま扱う(教えてあげてる、といった物言い)

⑥過去の実績や自分のやったこと、好きなことをあからさまに誇張してくる

⑦親を安心させるのが子供の務めと信じて止まない

…などなど、数えればキリが無い程である。あの父がなぜこんな女性を選んだのか未だによくわからない。

なぜ母がそんな風になったのか、多少の考察を交えながら経緯を説明する。


3つの事例の順ではあるが、疑惑は次第に確信、確証へと変わっていった。

まず高校3年生の頃である。大学受験の為、塾に通わせてもらっていた私はそこで志望校に受かる為勉強に励んでいた。そこでお世話になっていた先生と私、保護者で生徒の成績や進路の情報共有をするべく数ヶ月にいっぺん面談があった。普段は父が仕事の帰りに来てくれており、「私君のお父さんは優秀やな。なんであのお父さんから私みたいなのが出来るんや」と面談終わりに父がいない所でイジリ気味に言われた。うっさいわ先生wとそこで返したが悔しいがハッパかけられている、とプラスに捉えてその場は流した。

しかしこの言葉が引っ込んだのはこの数ヶ月後の同じ面談の場である。この時は母も同席した。普通に面談は進んでいた…が、いきなり母はそれまで話し合っていた内容とほぼ違った内容の質問を先生にした。その時の先生のたじろいだ反応から察するに多分「は?」という言葉が喉元にあったのは容易に想像出来る。

そして面談が終わって両親が先に帰ったあと先生にかけられた言葉は、「私君、お母さんっていつもあんな感じなん?」

あんな感じ、というのが当時の私にはあまり理解出来てなかったのだが、その場はあんな感じです、と答えたら「ああ、そうなんか…そういうことか…」と妙に納得された。

ここで私の心に疑惑が生まれた。

もしかしてうちのオカンは変なんか…?


そして大学受験が終わってからその疑惑は確信に変わった。残念ながら私の力不足で志望校には受かることが出来ず、両親に土下座覚悟で浪人を決めた。

その時母に言われた言葉は落第して傷心中の私の傷をえぐるには十分だった。

「受験料が無駄になったやん」

「もっとやれることあったんちゃうん」

力不足だったのは認めるが、ベストは尽くしていたつもりだった。私は流石にキレた。しかしあの手この手でのらりくらりと恩を売るような物言いで口論になった。

結局口論は父に止められるまで続いた。その後父にどうしたいかを伝えに父のいる部屋を訪れた。自らの力不足を謝罪し、もう一度挑戦させてくれ、そしてこの借りは必ず返すからと頼みに行った。しかし父は無表情でこう言った。

「何で謝んねん、やり切ったんやろ?それにそんなに申し訳無いって気持ちがあって何か返したいって言うんやったら、俺相手やのうていつかお前が良いご縁があって結婚して子供が出来た時に、その時にその子供と奥さんに返してやれ」

と逆に怒られた。しかしかけてくれた言葉は書いているこの今でも涙が出てくるほどの物だった。


なんて父親だ。

たった一文で最大級のエールと慰めを貰った。変えようの無い過去のことを言った母に対し、いくらでも変えられる未来のことについて言った父。

母に言われた言葉との落差も相まって、当時落ち込んでいた私の涙腺を崩壊させるのは容易であった。父への感謝の気持ちで胸がはち切れそうだった。

この人が父親で良かった。心底そう思い、返さなくて良いとは言ったがこの人にだけは絶対何かの形で恩を返したい、そう心に誓った瞬間だった。

後日この話を塾の先生に話すと、「ほんまにええお父さん持ったな」と返された。ここで確信に変わった。おかしいのは母の方だと。


翌年めでたく大学に入学し、日々学生生活を送っていたが、その最中で私は受験の反動か鬱になってしまった。

薬を飲みながら、主治医の先生とのカウンセリング。はじめの数ヶ月は両親も付いてきて話を一緒に聞いてくれた、と思っていた。一方の親は確かに聞いてくれていたようだが、もう片方はそうでもなかったようだ。結局いつぞやの塾の時と同じである。どうしても母は自分の「ゾーン」に持ってこないと気が済まないらしい。

後日1人で受診しに行った際にお世話になっていた心療内科の先生に塾の先生と似たようなことを訊かれた。聞く所によれば母の性格は一発で見抜かれていたらしい。仕事柄とはいえ初対面の人の性格をよく見ていらしゃった。最早確信が確証に変わった。

やっぱそうやねんな、と母のような性格の人をネットで調べた。そしたらまあ出るわ出るわ。

調べた感じ(あくまで推測の域を出ないが、事例通りゆえほぼ確実)、自己愛性パーソナリティ障害という「ビョウキ」らしい。このことを話すと父も「そういえば昔からそんな感じやったな」と遠い目で溜息をついていた。


なぜ母がそうなったかの考察ではあるが、恐らく1つの理由は親だろう。正直言って母方の両親にあまり良いイメージが無い。母曰く家庭内ぼう力はあり、さらに母の兄(この人はめっちゃ良い人)つまり叔父曰く祖母も母と似たような感じで、「お母さんって人の話全然聞かん節あるやろ?あの人(祖母)も似たような所あってな(と私に呆れ気味に言ったことから察する)」と息子や実兄にすら言われている始末。自己愛性パーソナリティは連鎖しやすいそうだ。しかし言われる側はたまったものではない。

2つ目としては見た目問題だろう。生まれつき母は右腕に見た目問題を抱えている(具体的症名は割愛するが、常に腕に赤い絵の具を塗って大阪の街を歩いていたと考えれば想像はつきやすい)。恐らく人がどう思っているか敏感、そして自分にネガティヴな感情を持っているのではないかと少し誇大された被害妄想を持つ原因なのだろうと推測する。

その欠落した感情を埋めるのは誰か。大概なら親だろう(叔父は母の2つ上故に母の思春期頃、妹がそんなものを抱えていても余裕は無いと思われる)。しかし母曰く家庭内で見た目問題について言及するのはタブー視されたそうだ。つまり祖父母は母の見た目問題について全く理解を示していなかったらしい。これが本当ならば祖父母(ちなみに2人は離婚済)も悪い。しかし祖父母のそんな対応だった分息子達にはそんな思いをさせたくないと思ったのか過干渉、もしくは逆に我々子供に全く興味が無い。


他には自分は如何に凄いことをした、あるいは自分の好きなことを誇らしげに押し付けてくる。

例えば母は小学生時代にキックベースをしていたそうだ。そして厳しい練習のおかげか北大阪地域全体の大会で優勝まで果たしたとか(ちなみに聞く所によればポジションは3番ライト)。それは勿論素晴らしいことなのだが、それを私の中学高校と部活でしていた陸上競技の実績と比べられるのは無理がある。

確かに私は目立った成績は残せなかった。短距離と跳躍競技をしていたが、上には上がいる。いくら100mで11秒代を出しても10秒代で走る人もいる。幅跳びで5m跳んでも6m跳ぶ選手もいる。

府大会や近畿、全国へ繋がる公式大会でそんな選手と戦う訳ではあるが当然そう簡単には勝てない。寧ろ勝てず負けて地区大会で終わる選手の方が圧倒的に多いのに。そもそもまず個人競技団体競技で比べようも無い筈(尤も、子供が多かった当時の大会で優勝は凄いこと)なのに、いかに自分が凄いことをしたか自慢げに話してくる。練習がいかにキツかっただの、真夏でも根性論で水が飲めなかっただの話してくる。そしてもっと練習とか出来ることあっただろうと終わったことばかりを言ってくる。知らんがな。中高6年間精一杯頑張ったのに(余談ですが私自身100mは中1の新入部員の頃の16秒台から約5秒縮めました。これはちょっとドヤらせてw)。打ち込む環境を作ってくれたのは本当にありがたいが、またそれを恩着せがましく言ってくる材料になるのでまたウンザリ。

ちなみに自分がその中身が伴っていないのにも関わらず(もし伴っていたならそもそも自己愛性パーソナリティに陥らない)、いかに凄いかを主張するのも自己愛性パーソナリティの特徴だそうだ。いかに自分が凄いかを言って自分の地位を上げなければ自分に何も残らないからである。それで自分を守ろうとしているのは想像に難くない。


要するに母は臆病者である。

何か正論を言って核心を突いた発言をしても自分を捻じ曲げることが出来ない。その瞬間母にとって世界が終わるのと同じことなのだろう。だから論点をすり替えて、「これは議論だ、女の人はあちこち話題行くんだ」、と言う。そうすれば自分を保てるから。特に私相手には親の立場を利用し、上から目線で絶対折れない。息子に言い負かされることすら怖いのである。

違った言い方をすれば仮初のプライドである。さらに踏み込んで言えば悪いプライドの持ち方である。


正直言って早く縁を切りたい。

ちなみに母との終わらない舌戦に私より先にギブアップした弟は父に懇願して大学近くの町に下宿した。その弟曰く「少しずつ毒抜けてきた」そうだ。

余談だが、弟の友人曰く弟がなぜ下宿したのか(一応実家から通える距離の大学)分からなかったそう。だが弟が一度病気で倒れた時駆けつけた両親が弟の友人達と病室の前で駄弁っていた際に母の喋り方に違和感を感じ、下宿の理由を妙に納得したそうだ(勿論両親と弟の友人はその時初対面)。また一発で見抜かれてやんの。

父はどうなる。

しかし前にチラッと聞いたが父自身も母にはウンザリしているようで、定年退職したら新築の家のローンを全額払う予定らしい。その代わりそれを手切れ金にして田舎に引っ込もうかと画策中だそう。

私もとりあえず就職したら問答無用で実家を離れるつもりだ。新築の家で居心地は悪くないがそれでもあの人との同居はもう御免である。もしこれから良いご縁があっても奥さんになるかもしれない女性をあの母に合わせたくない。女性同士意外と気が合うかもしれないが、想像では「息子の嫁」ということで十中八九嫁いびりする。当然結婚式も呼ぶつもりは更々無い。後々お役所から老いた母の面倒見ろ、とか言われそうだが丁重にお断りする予定。介護士さんには厄介なの押し付けて申し訳無いが。葬式もなるべくなら参加したくない。

私は親不孝者でしょう。腹を痛めて産んで生を与えてもらったにも関わらずこのようなことを書いているのだ。閻魔様にはお見通しだ。死んだら地獄行きかもしれない。

純粋だった私も考え物だが、しかし子供にとって親は絶対的だ。あの母の言うことを信じていた時期すらある。あの母を信用して得たものは「生」と多少の家事、自己肯定感の低さくらいだ。

そして、そこから得た事は親の立場を悪用して子供を縛り付けることは何よりも虐待であると思う。


私に出来ることはまず負の連鎖を断ち切り、未来の奥さん(予定)や自分の子供にそんな接し方をしないように自戒すること。そして出来れば苦労ばかりかけた父にせめてもの恩返しをすること(多分真っ当に生きていれば恩返しにはなるだろう。が、私の心がそれでは納得しないのでw まああの父のことなので恐らく「せんでええわ」と怒られそうだが)。

この走り書きを読んで下さった皆様の何らかの一助になれば幸いです。

長文失礼致しました。